69th meeting
「ルール」
Core Talk Cafe meeting

Digest

家庭でも学校でも職場でもつきものなのが「ルール」です。恒例の最初のひと言でも学級会でクラスのルールを決めたり話し合ったりした経験のある方が多いようでした。他にも、「自分ルールはあっても自分法律とは言わない」というところから法律や法則(law)とルール(rule)、あるいはマナーとルールのちがいや、身近な交通ルールや、ルールにつきものの「罰」について気になっているという方もいらっしゃいました。ルールに対する感情としては、「守らなきゃいけない、めんどくさいもの」というのが大方の見解でしたが「ルールを守るのが好き」という方もいらっしゃいました。また、「漫画の読み方や表現のルール(漫符)のように便利な面もある」ということや前出の交通ルールのように「集団生活には不可欠」という点は皆さんが理解を共有されているようでした。また、「言葉も文法などルールの上に成り立っている」という指摘もありました。

参加者のなかに子育て中の方が多かったことから、まずはルールの教育と学習についての話になりました。確実に車が来ないとわかるときに横断歩道の赤信号を守るかどうか、小さい子どもがいる場合はどうか、という問いを皆で考えました。「信号は自分で渡っていいかどうか判断できない場合に従うもので、判断できる大人は"うまくやぶる"ことができるけれど子どもには無理と教える」という話とともに「子どもはルールを杓子定規に守る」傾向があることも指摘されます。そして議論はだんだんと「ルールを守ることと破ること」の話になっていきました。

家庭や学校で習うような「明示的に学んだルール」と、まわりの人たちがやっていることを見ておぼえる「経験から学んだルール」(たとえばエスカレーターの立ち位置)があり、破り方がわかるのは後者の方なのでは」という指摘が出ると、前者を守るのは、それを教えた保護者や先生の「権威」に従っているということなのでは、という考察もなされました。このルールの身につけ方の区別はこの後も何度か話題に上ることになります。

また、教室で発生しがちな無言の同調圧力のように、「暗黙のルールが本来のルールを上書きしている(より優先されている)」という話が出ると、「ルールは守る守らないの単純なオンオフではなく、暗黙のものを含む複数のルールがあるなかでどれを最優先にするかという取捨選択で運用されているのでは」という指摘がなされました。しかしそうすると「ルールよりも人間の判断の方が上位となる」ことから、これは「法治国家を揺るがすような発想」なのかもしれないという指摘も出ます。ルールを破る人の立場によっては暴君になってしまうかもしれないということです。

そこから、ルール成立の条件として「皆が同じルールに従っていること」が一番のルールになるのでは、と話が進みました。同じルールに従っている集団のなかでは、リスク管理なども容易になりそうです。「ルールがあることは安心材料である」という、ルールの便利な側面が再確認されました。しかし、先に出た「明示的なルール」と「経験的なルール」の衝突が起こることもあり、特に子育てにおいては、家庭の方針のちがいなどから、安全のために「ルールを守らせることが何よりも大切」という考えと、ときにはルールを絶対視せず「状況判断能力を養うことも必要」という考えが衝突して、繊細な問題がもちあがることもあるようです。その流れで、ルールにまつわるもめごとでは事の大小を問わず「前例がとても重視される」という指摘もありました。

ルールの定義に話が戻ると、「ルールは守らなければならない」というのが万能の黄金ルールでは、という指摘が出ました。「守らなくていいルールというのは定義からして破綻」しており、「理由にかかわらず、ルールはルールであるために守るべき」であって、「問題が生じたらルール自体を変更しなければならない」というのです。憲法すら改定可能であるということは周知の事実ですが、「ルールが可変であることはあまり普段から意識されてはいない」ようです。

そして、「ルールに則って生活するのは、実は楽」という発言から、ルールを守ることについての話になりました。早寝早起きなどを「ルール化して守り続けることの気持ちよさ」、また「ルールを守ることを遊びとして楽しむ」こともありうるという発言が出ます。この裏返しとして「ルールを破る快感もある」という補足も入りました。「全員が完璧にルールを守っている世界はありえないけれど、一種のユートピアだと思う」という方も。また、「ルールは守られていないと存在できない脆いものなので、"守ってやる"という感覚」をもつ方もいらっしゃいました。ルールを守っていること=存在させていることで、自分の方がルールより上になる、という考え方です。「ルールは守るべきであるというルール」の「べき」には、考え方によって強弱があるようです。ただし、先に出た「明示的なルール」つまり、明文化されているルールは守っている人がいなくても存在しうるのでは、という指摘も出ました。

全体を通して、「ルールは人工物」であり、そのため「ほんとうの絶対的なものにはなりえない」ということや、そこから優先度や権威がどのように生じるのかという問いを繰り返し考察した回となりました。また、「自分ルールを守ることは自分自身を裏切らないことに通じる」や「ルールを守ることを選ぶことで自分が自分の主人になる」といった実感も聞かれました。「習慣とルール」など、取り上げきれなかった問題も多かったことを確認して、お時間となりました。

Core Talk Cafe digest

Questions

・人が上か、ルールが上か?
・子どもはルールをどう学ぶべき?
・ルールが無いと日常生活はどう変わる?
Book Guide

Book

『「ほんもの」という倫理―近代とその不安』 チャールズ・テイラー『「ほんもの」という倫理―近代とその不安』 (産業図書)
チャールズ・テイラー
産業図書

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