67th meeting
「老い」
Core Talk Cafe meeting

Digest

「老い」をテーマとした今回のはじめの一言では、「風邪の治りに時間がかかるようになった」「徹夜ができなくなった」「抜け毛が増えた」「白髪が増えた」などの身体的な衰えのほか、「新しい機械などへの順応が鈍くなった、めんどくさくなった」といった内面的な変化が報告されました。これらはおおむねネガティブな変化であると受け止められましたが、一方で、「老いはネガティブなこととは限らない。経験を重ねて熟成・老成するという面もある」という意見も出ました。「老い」はネガティブなものかどうかが最初のポイントになりそうです。
「成長と老いは、発酵と腐敗のように、同じことの見方のちがいなのかも」という意見から「経年変化と老いは同じか、ちがうか」「老いと言っている時点でネガティブなのでは」「老いはどうポジティブにとらえなおせるか」などの議論が続きます。「老いることで、肉体的には下降し、精神的には向上する?」という発言は、「肉体と精神を二分してしまうと、老いをとらえそこねてしまうのでは」という警戒が出つつも、「自ら老いていると思うから老いる、という気の持ちよう的な部分もあるのでは」「身体機能だけで老いを考えたらどうか」「昔の50歳と今の50歳は老いの度合いがかなりちがうのでは」など新しい視点での意見交換のきっかけとなりました。
さらに進んで、「今の社会で権力(社会的生産力)をもっているのは基本的に老いた人たち(中高年)なのに、老いへの憧れが無いのはなぜだろうか?」という疑問が提示されました。「未熟」とされる時期ではあっても「青春期には無敵感がある」という意見には、「青春期は子どもをもてる(生殖的生産力の)ピークだからでは」という考察が続きました。「漫画やアニメなどの主人公が青年以下のことが多い」や「セクシーな人には老いを感じない」という発言も出て、老いへの見方には「文化的なすりこみ」や「文化圏の差」があるということが見えてきました。また他方で、「老いは中高年よりも先にあるものなのでは」という意見も出ました。
「老いて経験を積んでいると発言の強度や自由度が(周りとの関係も含めて)増してくるのでは」という意見には、「若い側からしたらズルく見える」という意見が続き、「老害」という言葉も思い出されました。また、発言の強度や自由度は「成熟」によるものであって、「老い」と「成熟」は必ずしもセットではないのでは、という見解も出ます。「成熟はしたいけれど老いたいとは思わない」という発言には皆うなづきましたが、これは「表裏一体のものの表だけ欲しがっている」のでしょうか。
やはり「老い」はネガティブなものなのか、ということで「老いたからこそできることは何か」とかという話になりました。若い人にはできないことの一例として「社会的な調整」が挙がりますが、明治維新の中核を担っていたのは若者たちだったことなどから、「社会的な調整力が若い人には無い、ということ自体がプロパガンダによる刷り込みなのでは」という意見も出ました。「おばちゃん化することで人から警戒されなくなる」という事例や、歌手や俳優などについて「ギラギラした若さが抜けることで出てくる良さがある」という意見にはうなづく向きも多かったのですが、これらを「老いてできるようになったとは言わない」というのも同様に納得されます。ただ、警戒されないことや「枯れた良さ」をもてることは、その前に話題に上った社会的なスキルよりも「老い」に付随する感じが強そうです。社会的スキルと同様に、老いることで必ず手に入るというわけではありませんが、これらの良さが「老いることで手に入りやすくなる」という点において「老い」にも良さ(アドバンテージ)がある、という言い方はできそうです。
さて、ここで新たに「老いる」と「年を重ねる」の言葉のつかい分けから何か見えてくるのでは、という用語法的なアプローチが登場します。やはり「老いる」はネガティブなとき、「年を重ねる」は比較的ポジティブなときにつかっているという実感が報告されます。女性に対する言葉づかいでは特に「老い」がデリケートな意味をもつ、という話が出ると、また若さ信奉的なプロパガンダのことが思い出されましたが、「女性にとっては子どもを産めるリミットが明確に存在し、それはプロパガンダとは関係なく、事実として重大」という指摘も出ます。そうしてみると、「老い」にポジティブな価値を見出すことのほうがプロパガンダによるものなのでしょうか。「老いることは登り切った山を下りるようなことと言えるのでは(下りるは価値的に中立)」という発言には、「下りる」という下向きの方向性はすでにマイナスの価値をほのめかしているのではという意見や、「下りるもプロパガンダのひとつなのでは」という指摘が出ました。
また用語法の話に戻って、1歳から12歳になることと、20歳から40歳になることにそれぞれ「老いる」をつかうかどうか、前者につかわないとしたら、つかうようになる転換点はどこにあるのか、という話になりました。「年をとる」だったら同じ時間の中で生きているということで中立的かも、という話も出ましたが、たとえ同じだけの時間が経過したとしても、その内容(その期間に生じた変化)は同じではなく、年齢によって経験の内容が決まるわけでもないことから、「時間は平等ではない」という意見も出ます。
また、「プロパガンダにつくられたものである老いにとらわれると考え方が狭くなってしまうのでは」という発言には、「生殖能力のピークから遠ざかること」はどうしたって「老い」なのでは、という意見が出ます。生殖能力については「区切りが明確にある女性」「区切りが明確でない男性」のちがいもやはりありそうです。
ここでさらに、「(生殖)能力を失うことで無駄なことをする自由を得られるのでは」という新たな視点が登場しました。「動物(的な衝動に支配されること)を卒業する」ようなイメージです。しかし、「卒業したいときにできるわけではなく、否応なくできなくなることが問題では」という点で、やはりポジティブなだけのとらえ方にはできないようです。
いろいろなことが「できなくなること」と結びついて語られてきた「老い」ですが、最後になって「不老不死」が話題に上り、「老いの一番の良さは死に至れることでは」という発言が飛び出しました。また、「老いる」と「老いている」のちがいや、「老い」に対する主観的な部分を重視したらどうかなど、まだまだ議論の余地がありそう、というところでお時間となりました。
Core Talk Cafe digest

Questions

・老いは衰えることか?
・老いは社会的なものか、個人的なものか?
・老いと死はどのように関係するか?
Book Guide

Book

『老い』 シモーヌ・ド ボーヴォワール 『老い』 (人文書院)
シモーヌ・ド ボーヴォワール
人文書院

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