65th meeting
「ひとそれぞれ」
Core Talk Cafe meeting

Digest

コアトークカフェはいつも「ひとの話をよく聞く」「えらいひとの言葉を引用しない」「ひとそれぞれはなし」の三つを基本的なルールとしています。しかし、今回のテーマは「ひとそれぞれ」。コアトークカフェの根本をを問われる形になるため運営はドキドキしていました。当日はいつも以上にたくさんのお客様にお越しいただいたため、大小2グループにに分かれての開催となりました。この記録は大グループの方のレポートです。
今回に限り「ひとそれぞれはなし」というルールを適応しません、という宣言とともに議論を始めました。
最初に、参加者の皆さんに「ひとそれぞれ」という言葉について思うところを発言していただきました。「ひとの考えは影響や伝染でできるので型でみたらそれほど多様性はないのでは」「ひとそれぞれというのは、実は自分を否定させずに主張できるようにするための言葉では」「平行線をたどるしかない好みなどの話題で争いたくないときに言う言葉で、逃げでもあり寛容でもあるのでは」「ひとそれぞれという言葉の意味もひとそれぞれなのでは」「ひとそれぞれではないこともあるのでは」などなど、比較的「ひとそれぞれ」に対してネガティブ、あるいは懐疑的な意見が多く出ました。
「自分ではあまり言わない」という方の話から、どんな場面で言われているかを考察してみると、「平行線になってしまった話を切って終わらせるため」とか、逆に「ひとそれぞれでしょうが、と前置きして話し始めるため」という例があげられました。「ひとそれぞれという予防線を張ることで、自分への批判を牽制しつつ主張するために使うのでは」という意見には皆さん思い当たる場面があったようです。批判が出ないようにするのは「たとえ人から受け入れられなかったとしても、そもそも自分の意見を変えるつもりがないから」と言えそうです。
では、「ひとそれぞれ」は常によくないものなのでしょうか。「ファッションや食べ物などの好みなら問題ない」というのは多くの方に共有された感覚のようです。しかし「思考や思想についてのひとそれぞれは"逃げ"」であると捉えられるようです。
ここで、「ひとそれぞれ」という予防線を張ることは、「皆に一定の共通性があることと、そこから外れる者を攻撃することが前提となっているからでは」という指摘がなされます。この意見には共感とともに「でもそのような前提自体が実は誤解なのでは」というところへも話が進みました。さらに「"ひとそれぞれ"ということ自体がひとつの価値観なのでは」という意見も飛び出します。そして、「複数の人間がいてそれぞれ独立に好きな色を選んだら、全員同じ色だったとしても、それは"ひとそれぞれ"が成立している状態といえるのでは」という思考実験を経て、「そもそも主観は"ひとそれぞれ"でしかありえない」こと、そこから「"ひとそれぞれ"であるということはほんとうに言えるのか」、「"ひとそれぞれ"は尊重すべきか」という問いに発展しました。前者は「"ひとそれぞれ"でないもの=普遍的なものはあるのか」という問いもはらんでいます。前者の問いに取り組んで、結婚の捉え方など「常識の締め付け」が強く選択の範囲が狭かった状態からより広く多様化してきたことを話していくうちに、手探りながらも二つの問いが密接に絡み合っていることが見えてきました。
ここで改めて「"ひとそれぞれ"と言うことでむしろ多様性をひとまとまりにしてしまうのでは」という意見に立ち戻ります。ポリティカルコレクトネスを意識するあまり何も言えなくなってしまうように、「ひとそれぞれ」で互いを尊重するあまり何の議論も出てこなくなってしまうのでは、ということを集中的に話し合いました。たとえば、ある人は「愛とは飢えである」と言い別の人は「愛とは花である」というところを「愛とはひとがそれぞれ多様なことを言いうるものである」と言ってしまうとこのひとつの定義だけになってしまうのです。「ひとそれぞれの状態である」ことと「ひとそれぞれ主張している」ことにはズレがあるということも一連の議論で浮かび上がりました。
一度休憩をはさんで、今度は「"ひとそれぞれ"は尊重すべきか」の問いを中心に議論を再開しました。多様性が進んできたと言われる現在でも、実は個人が認識している多様性の幅を劇的に広げるのは難しいので、「ひとそれぞれ教」にまとめられてしまう前にまず、なんでもありの「ひとそれぞれ」の世界があることを、学生より広い視野をもつ大学の先生などが示すことには一定の意義があるのでは、という話から始まりました。
「ひとそれぞれ」による問題が出てくる場面と出てこない場面を考えると、好みについてはそれほど問題ないけれど、「概念や定義」についての話では問題になってくるらしいことが見えてきました。どんなイケメンが好きかについては「ひとそれぞれ」でも、イケメン概念については「ひとそれぞれ」ではなく「定義を詳しく」していくことができる、という例があげられます。
また、「ひとそれぞれでいい」と「ひとそれぞれじゃなきゃいけない」との比較して、命令形である後者にはやや抵抗感があるということを手掛かりに、「ひとそれぞれ」の問題はそれが取り上げられるときの「言い方」にあるのでは、という指摘からの議論も出ました。「"ひとそれぞれ"を尊重するべし」「"ひとそれぞれ"は尊重されるべし」「"ひとそれぞれ"でいいんだよ」などさらにいくつかの言い方の例があげられ、「ひとそれぞれ」が「義務」と結びつくと、言葉の上では多様性を強く肯定してはいても、どうもすんなり納得できるものではないようです。
最後は「言い方によってもちがう」ということも「ひとそれぞれ」と同様に「抗弁を受け付けないところがある」、という発見もあり、さらなる議論の広がりを見せたところでお時間となりました。
Core Talk Cafe digest

Questions

「ひとそれぞれ」の良い点、悪い点は?
「ひとそれぞれ」の思想はコミュニケーションを阻害するか?
「ひとそれぞれ」でないもの、普遍的なものを求める必要はあるのか?
Book Guide

Book

『相対主義の極北』 入不二基義 『相対主義の極北』 (ちくま学芸文庫)
入不二基義
ちくま学芸文庫

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