58th meeting
「偽善」
Core Talk Cafe meeting

テーマ選択の背景

今回のテーマは以前ご参加いただいた方からお寄せいただきました。寄付やボランティアとまでいかなくとも、日々の生活の中でちょっとした思いやりや善意を示す機会があると、なんだかうれしいような恥ずかしいような気持ちになったことはありませんか。しかし、そこにも「偽善」という問題が潜んでいるのかもしれません。
   

当日の様子

今回も20名以上の方にご参加頂き、大盛況の会となりました。今回は2つのグループに分けることはせず、大人数でじっくり「偽善」について考え対話することに。募金の例と共に、偽善の「善なる評価を得ようとしている状態」がまず指摘されます。「心・行動・言葉」がそれぞれズレている状態を分析される方もいらっしゃいました。
そうして議論は次第に、「偽善」が「善の偽物」ならば、「善」とは何だろうか、という根本的な問題へと入っていきます。偽物かどうか判断するためには、善の軸が必要だと考えられるからです。しかしながら、善の尺度は様々ではないかという意見も。善を「純粋な善」「純度の低い善」など善を段階分けしてみたり、理想的善をグラデーション的に描いてみたり、論理の整理をみなさんで試みます。
さらに「偽善は人を謗るためのものだ」という意見から、偽善を告発する人の絶対的権威についても触れられます。ここから、なぜ「偽善者だ」と言われたときに不快感を感じるのかということについても触れられ、行為に対して、恣意的に行為者の心を推察し、上位からその行為者を断罪するという性質が指摘されました。
他にも、「偽善は善なのか悪なのか、それともどちらでもないのか」という問いも提起されました。行為自体は善行なので善である、という意見や、「善ではない」という否定の形でしか説明できない、と言う方も。相手のしてくれたことが偽善だと発覚した際に、両者の関係の信頼感が損なわれる、というある種の「悪」の要素を指摘して下さった方もいらっしゃいましたが、いつものように時間切れとなりました。
   
Core Talk Cafe digest

Digest of digest

「善と偽善はどう違うのか」
「偽善は責められるべきものか」
「偽善ではなく善を目指すべきか」

Book Guide

「転落」『転落・追放と王国』 アルベール・カミュ「転落」『転落・追放と王国』 (新潮文庫)
アルベール・カミュ
新潮文庫

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