57th meeting
「妄想」
Core Talk Cafe meeting

テーマ選択の背景

今回のテーマは司会をつとめる運営の希望で選択しました。「妄想は現実と関係があるか」、「妄想は必要か」、「動物は妄想するのか」、「想像と違いはあるのか」といった問いを準備しつつ、ご参加の皆様とコアな対話ができることを期待して開催しました。
   

当日の様子

年初にもかかわらず25名以上のお申し込みをいただき、大盛況となりました。いつものお部屋では入りきらないため二つのグループに分け、早くいらした方から小さなお部屋にご案内し、時間通りスタートしました。この小さな、そして幾分か親密な雰囲気になったお部屋での議論を紹介いたします。
最初に「妄想」という言葉の印象や日々の疑問などを伺うと、多くの皆様から「妄想」はネガティヴなもの、現実逃避だ、というご意見があがります。「妄想はネガティヴなものか」。これが今回の議論を牽引する問いになりました。これに対し、例えば江戸川乱歩の「人間椅子」のような文学は「妄想」を作品にまで昇華させたものではないかという問題提起がなされます。たしかにわたしたちは「妄想」的な雰囲気の文学、美術を多く知っています。ですが、これらは筋道を立てられ秩序を与えられて作品となった「空想」あるいは「想像」と呼ぶべきで、「妄想」はその漢字の意味からしても、でたらめで救いのない、みだりなものだという区別がつけられました。わたしたちの多くは芸術家ではありませんので、現実と乖離したイメージを作品にまで昇華することができず、「妄想」に終わってしまいます。では、なぜそのような現実から乖離したイメージが膨らむのか、ということが問題になります。
この問いをめぐって様々な体験談をお話いただきました。いずれにも共通していたのは、「妄想の源泉は欲望である」ということでした。目を背けたくなるような現実から逃れ、本当は「こうありたい」「こうしてほしい」という満たされない欲望が「妄想」を生じさせます。たいてい性的なものを含みこんでいる「妄想」ですが、はたしてそれはそのひとの本質を映し出してしまうものなのかもしれません。あるいはひとつの病理であって、「妄想」する必要がないならそれにこしたことはないのかもしれません。だれもが現実としっかり向き合い、適切な手段をもって欲望を満たすことが出来る社会。「妄想」のない社会、それがひとつの理想なのではないか、という提案さえなされました。ひるがえって、今日の日本社会では「妄想」を補助するメディアに溢れ、文化の名のもとにわたしたちを取り囲んでいます。四十代の参加者の方からは、こうした状況に対する危惧の声があがります。しかし、二十代の方からは、例えばもっと遡って、戦争や革命、バブルの時代なども、一種の「妄想」に突き動かされていたのではないかというご指摘があがりました。終始笑いのたえない和やかな雰囲気のうちに議論は時間切れとなりました。今回のようにコアトークカフェが、ふだんの交友関係ではなかなか話す機会のない世代間をつなぎ、お互いを理解しあおうとする場となったことを、運営としてはとてもうれしく感じています。
   
Core Talk Cafe digest

Digest of digest

「妄想はネガティヴなものか」
「妄想の源泉は何か」
「妄想を社会から排除できるか」

Book Guide

『江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者』 江戸川乱歩『江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者』(光文社文庫)
江戸川乱歩
光文社文庫

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