Core Talk Cafe meeting | |||
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開催場所 |
喫茶茶会記(四谷三丁目) | ||
テーマ選択の背景 |
自分が何か意見を言ったときに「分かる!」と人から言ってもらえるのは気持ちが良いことがあります。事実、教育においてもビジネスにおいても「共感」は度々持ち出され、重要視されることも多いでしょう。しかし、はたして本当に、あなたとわたしは「共感」し合うことはできるのでしょうか?そして、共感とは、本当に必要なものなのでしょうか? |
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当日の様子 |
今回は「共感」に迫ってみるために、まずは他の用語との差異を明らかにするところから始まりました。「同調」「理解」「同情」などとの違いを通して考察を深めましたが、「共感」という名がつけられるときには、何かポジティブな意味が含まれており、何かを共有している、といった事態が指摘されました。さらに、共感には「抱く」ものと「示す」ものがあるのではないか、といった問いが立てられます。心の中で、相手との共感を示す場合。もう一つは「分かる!」「私も!」というような、言葉でその思いを示す場合。そうなると、「示す」ことはしても、本当は「抱く」ことをしていない場合は、「共感」と呼べるのかといった問題も出てきました。うわべだけの「分かる!」といった表明は、単なる「同調」なのでは、と発言して下さった方もいらっしゃいました。そこから、なぜ人は「共感」を求めるのか、という問いにも発展します。自分の存在や主張が肯定されるのが嬉しいという承認欲求もあれば、仲間意識・連帯感を強調して下さった方も。それとは逆に、共感されたい欲求だけでなく、「共感したい」という能動的な欲求についても対話が深まりました。 少し休憩を挟んで、後半からは、「抱く」と「示す」共感について、主題が絞られます。内実がどうであれ、共感とは「表明」された時点で、そう呼ばれるのだという意見に対し、facebookのいいね!機能といった具体例が出されながら、様々な賛成・反対意見が飛び交いました。さらに、共感を示してくれるロボットがいたらどうなるか、という思考実験も行いました。技術の先鋭化によって、共感がどう左右されるかについて考えを交換しているところで、お時間となりました。 | ||
Core Talk Cafe digest | |||
Digest of digest |
「人と感情を共有することはできるの?」 「共感はどうやって生じるの?」 「人は共感をするべきなの?」 「他者に共感をしなくても生きていけるの?」 |
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Book Guide |
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