39th meeting
「時間」
Core Talk Cafe meeting

開催場所

喫茶茶会記(四谷三丁目)

参加者数

11名(運営スタッフ含まず)

テーマ選択の背景

今回のテーマは運営で話し合った上で、人間が生きていく上でもっとも基本的な枠組みだといえる「時間」にしました。「時間が流れているってどういうことなんだろう」、そんな素朴な思いを胸にご参加の皆様を迎えました。

当日の様子

 最初に「時間」というテーマについてどんなことを考えたことがあるか、参加者の皆様に考えを聴いていきました
「今ってなに?今をとらえることはできるんでしょうか」、「時間の認識は、事物の変化との関係でのみ考えられてきたのではないか」、「時間は、人間が決めた単位にすぎないのではないか」。こうしたお考えをいただくと、もう議論が始まりました。
 時間が「単位」なのだとすると、例えば心拍数との関係で決まっているのでは(他の動物にとってはちがうのでは)。その「単位」はここ五十年くらいに人類に浸透したもので、絶対的なものではないのでは。
しかし、人間はなぜそうした「単位」を誰もが共有できているのでしょうか。ひとによって時間感覚は違っていても単位が共有されているのでしょうか。
「共通の目的、共通の価値のため」、「寿命がある程度共有されているから」、「記憶があってはじめて今という時間認識がある」、といったお考えがでました。さらに、「人間は過去に生きているのではないか」。
 議論は当初の、「今とは何か」という疑問につながっていきます。「過去と未来とのつながりが時間の正体であり、過去の記憶と未来への願望や期待とがつながっている」。「今はない」けど、「今を生きたい」!たとえば過去も未来も吹き飛ぶような芸術経験、ひとを愛することが「今を生きる」ことになるのでは。はたして「今」はあるのでしょうか?時間が「ある」とはどういうことなのでしょうか。
ここで、今はある派、ない派、どちらとも言えない派で意見が別れます。今はない?今の範囲も確定できない?観察者としての人間ぬきに時間はそもそもあるのか?
 客観的な「時間」は存在しないかもしれません。もしくは、「人間が見ていないときに時間の流れかたそのものが逆流してるのかもしれない」。わたしたちがふだん信頼し、日々刻々とそれに追われている「時間」。その問い直しが実にスリリングでした。
Core Talk Cafe digest

Digest of digest

「時間」は共有できるの?
「現在」は存在する?
「記憶」と「時間」の関係は?

Book Guide

『内的時間意識の現象学』 E. フッサール『内的時間意識の現象学』(みすず書房 )
E. フッサール
みすず書房 1976

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